今回は私の昔話です。少しお付き合いください。
1987年、今から38年前。私は初めて海外工場に出張する事になりました。
入社3年目まだ何もできない。仕事に対して何の自信もない状態でした。
その時私は生産技術に所属しており、ほんの少しの生産設備に関しての知識はあったももの、
一人前とは言えず、誰かに教えてもらいながら仕事を何とかこなしていて、
とてもひとりでは何もできない状態でした。
そんな自分がどうして海外出張にって事ですが、
その頃当社では海外進出が加速し始めた頃で、人手が足りなかったんですね。
その年に、シンガポール工場の子会社としてマレーシアに工場を建設し、
翌年には中国へ進出するなど、当社にとってとても大きな動きがあった時期海外に
行ける人が少なかったんですね。
そんな事情もあって、その時の上司が私を連れて行ってくれた。
まだ何もできない半人前だが、将来何かの役に立つだろうと思ったんでしょう。
工場が立ち上がり、その上司は次の進出先中国の準備のため、1か月程度で帰国。
残された私はなんでもしなきゃいけない。
なんなら現地で作業指導までもしなきゃいけない立場に。
さあどうする。
工場はなんとか設備を設置した状態。生産も動き始めたところ。
まだ人も充分採用できていないそんな状態でした。毎日がてんやわんや。
海外ではある程度何でもできないと、仕事になりません。
その時は私は何でもできるどころか、何にもできない状態。
言葉も満足にしゃべれず、英語も片言。ましてや現地のマレー語なんて全く解らず。
さあ困った。今みたいに携帯もない時代、38年前ですからね。
国際電話なんてとても高くてお金が掛かるから日本に問い合わせる事も出来ません。
(今なら会社の携帯でWi-Fiで無料電話しながら出来ますけどね。)
そういう時に限ってトラブルは起きる。必死で自分で考えた。
その後会社は立ち上がり、生産開始となり、4か月後帰国しました。
うまくできたかどうかは分からないけど、何とか迷惑を掛けずに乗り切った。
その事が、今の自分の礎となっているように思います。その時の経験が無かったら、
今こんな立場で仕事をしていなかった。と思っています。
その時の上司は今は海外に住んでいてなかなかお会いする事はないんですが、
それでも年に数回お会いする機会があるときに、感謝を伝えています。
マレーシア工場は2年前に36年の歴史にピリオドを打ちましたが、
私も参加して、現地従業員みんなで最後にお別れパーティを開催するなど
最後までコミュニケーションの良い会社でした。
私は今の若い人たちにもいろんな経験をしてもらいたい。そういう思いでいます。
私の経験とは少し違うと思うけれど。
だから海外に行きたい人、経験したい人にはタイミングをみて勉強に行けるようにしています。
時代が違うので、経験する内容も違ってくるけども、必ず将来本人にプラスになると思うからです。
しかし、自分から進んで手を上げる人はなかなか少ないです。
ましてや苦労しようと思っていく人は居ませんね。
私も自分で苦労しようと思って行ったわけではないですし。
「若いうちの苦労は買ってでもしろ」
昔の人は言いましたけどね。
だから、こちらからドンドンそういう状況を作って経験させることが
一番いいのかと思っています。
何から何まで教えてもらい、何なら判断業務ですら
「教えてもらってないので分かりません。」
と平気で言う。そうならないように。
経験のない事は出来ない、未知のビジネスは出来ないとならないように。
仕事は先が見えないから確実じゃないからしっかり準備して挑戦する。
そこが面白い。自分で切り開くからやり甲斐がある。
答えはネットで検索できない。
誰も教えてくれません。
そういう思いを彼らは受け取ってくれるでしょうか?
僕の考えはもう時代遅れになっていますか?
でも近い将来、もしかしたらそんな苦労をしなくても、AIが全て教えてくれるのかも。